都市公団 UR 公団住宅という呼称、間取り・デザイン
都市公団 UR 公団住宅という呼称、間取り・デザイン
現在、旧都市公団はURとなり、公団住宅という名称は無くなりましたが、今でも長年の慣習で公団住宅と呼ばれることも多いです。
公団が供給する住宅には、賃貸タイプ(集合住宅)と分譲タイプ(一戸建て・集合住宅)がありました。
賃貸の物を旧公団住宅(現在のUR賃貸住宅)と呼びます。
集合住宅(賃貸・分譲)を総称して旧公団住宅と呼ぶ場合もあります。
日本住宅公団は1955年に設立された。当時は高度経済成長期を前にした時代で、都市への人口流入が進み、住宅の絶対数が不足していました。そこで、中堅所得者向けに都市近郊で良質な住宅を供給するため公団が設立され、1956年に日本初の公団住宅となる金岡団地(堺市、賃貸)と稲毛団地(千葉市、分譲)が完成。1960年代の高度成長期には東京や大阪近郊でほぼ画一化された多数の団地(多摩ニュータウン、千里ニュータウン、泉北ニュータウンなどの分譲及び賃貸住宅)が建設されました。しかし市場原理を無視して分譲住宅の建設を続けたため、1990年代には大量の売れ残りがあることが問題になりました。
公団住宅はDK・LDKなどの間取りやシステムキッチンを普及させ、高度成長期の庶民にとって憧れの生活空間を提供し、民間の住宅建設のモデルになった。一方、画一的な住宅建設が個性の無い街並みを生み出し、日本人の住環境を型にはめてしまった側面もある。また、特に大量供給期の物件は今日的な基準からは設備に不十分な点が多く、リニューアルも困難で、老朽化した住宅の取扱いが課題になっています。
大量供給期の公団住宅 デザイン間取りには、どんなものがあるでしょう。
大量供給期の公団住宅によく見られるタイプとして、エレベーター無し5階建て、階段室を中心に部屋を配置、全戸南向き、同じデザインの複数棟が連続して建ち並ぶ、といった物があります。
小滝台マンション(1957年、中野区)
初期の分譲住宅で、老朽化のため1987年に建替えられた。容積率に余裕があり、等価交換による建替えが可能になった事例です。
晴海高層アパート(前川國男設計)
豊四季台団地
常盤平団地
高島平団地
松原団地
ひばりが丘団地
百合丘第一・第二団地(川崎市麻生区)
次の町田市内3団地・横浜市内各団地はいずれも同時期に同デザインで建築されました。
山崎団地・藤の台団地・鶴川団地(1965〜1975年、町田市)
左近山団地・奈良北団地 (横浜市)
などがあります。